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1、はじめに

あなたは何のために生きているのか、考えてみたことがありますでしょうか?高学歴・高収入を得るためですか?幸せな結婚をするためですか?子や孫に囲まれ不自由ない老後を楽しむためですか?有名になるためでしょうか?
 これらは確かに生きていくための目標とはなりますが、実際はそれを達成するだけでも大変なことですし、なかなか理想通りには行かないのが現実です。しかし、仮に目的や夢がかなったら、その後はどうなるでしょうか。結局はまたその時その時で常に願望は変化して存在し、無いものねだりをすることになります。これらは目に見える幸せを実感するための手段でしかなく、本当の意味での人生の目的とはいえません。
 皆さんは自分がいつか必ず死ぬ、という実感を持っていますか?日々その実感を持って過ごしていらっしゃる方は少ないんじゃないでしょうか。特に人間の一番自然な部分であるところの生と死は、現在の都市においては全て病院の中に押し込められてしまっていますから尚更です。ここに近代物質文明の大きな問題が存在するわけですが、死ぬ時に今までの人生で築いた地位や名誉や財産を持って旅立つことはできないことは誰しも理解していることです。また、死んでしまったら全てが無になる、その先は何も無い、ということではないということも、本能的にたいていの人は理解しています。肉体は滅びても霊(たましい)は残るということです。だからこそ死後の霊の安寧(あんねい)を願う多くの信仰が古くから存在してきたのです。ただ現在に至って、死というものが身近に感じられない時代になってしまったからこそ、より目先の豊かさに翻弄(ほんろう)されるようになってしまったのです。
 本当の人生の目的とは?死後の世界とは?魂(たましい)はどこから生まれどこにかえるの?なんのために?それらの答えを完璧に教えてくれるところがあります。それがこれよりご紹介します「天道」です。
  
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2、天道とは?

「天道」とは分かりやすく言うと「天から降ろされた道」であり、「天へと帰る道」です。天とは全ての魂(たましい)の故郷、永遠の極楽天国のことです。この天国の名前を「理天界」と言います。

 私達の肉体に宿る魂は、もともとこの理天界にいました。すべての魂はひとしく美しく、光り輝いていました。そして、全ての魂をお産みになられた親神さまと、親子楽しく暮らしていました。ある時、親神さまは思いました。「かわいいこの子たちをいつまでも、私のそばにおいておいては、いつまでたっても、成長しない」と。「可愛い子には旅をさせろ」と言いますよね?まず親神さまは宇宙を創造されました。そして天地を造られた後に、肉体の中に、ご自分の子供である魂を宿らせ、修行させることになりました。

 しかし、子供たちは極楽世界から離れようとしなかったので、親神さまは子供たちを地上に降して、天に帰る道に鍵をかけてしまわれたのです。その時、地上で泣き叫ぶ子供たちに、親神さまは「時期が来たら、必ず迎えに行くから、その時まで、しっかりと良い子に成長するのですよ。」とおっしゃって、子供たちと約束を交わされたのです。そして時が経ち、多くの師が親神さまの天命を受けて、子供たちに正しい生き方を教えられ、子供たちは輪廻の世界の中で成長していきました。親神さまは、子供達がより成長しやすい様に、最も優秀な子供を一人ずつ選ばれ、この救いの法を返す事をもって親神さまの意志を読み取れる様にされました。その子供達は、最初帝王一人から一人へと受け継ぐ形で、世の中の基盤である文化社会の礎(いしずえ)を構築されました。

 次に聖人の方達に一人から一人に受け継ぐ形で、人々の心身を修める方法を導かれました。聖人方は皆、親神さまより同じ使命を頂きながらも、それぞれの方法で、人としての正しい生き方と「大愛」の大切さを説かれていたのです。

 しかし、教えのとおりにはなかなか行かず、修行の途中で子供たちが失敗したり、欲に眼がくらみ、輪廻の世界でよごれていきました。ある子は良い子に成長しましたが、中には悪い子もいて、やがてそんな子供が増えてしまい、とうとう他の子をおびやかすようになってしまいました。そのために一度、修行場である輪廻の世界を大そうじしなくてはならなくなってしまったのです。秋の前触れには台風がやってきます。今、輪廻の世界全体に浄化の台風が吹き荒れようとしています。しかし、親神さまは、約束を守った良い子供たちが一緒に吹き払われるのは忍びないと思われ、約束どおり、もとの極楽世界に連れ戻そうと決められたのです。それで、この話を信じ求める人全てに、天国行きの切符を授け、真の極楽世界、理天界に帰る鍵を開けることを決められました。

 天道は、親神さま直々のご指示のもとに、真の救いの法をお伝えしています。親神さまが迎えに来て下さる時期に至り、聖人方のように立派でなくても、この道を信じ求めるだけで救われるのです。私たちのような庶民が、こうして救われるようになったのも天の時が満ちたからなのです。

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3、輪廻のお話

<理天界>
 私たちの魂の生まれ故郷は親神さまのいらっしゃる理天界という素晴らしい極楽の世界です。はるか昔、親神さまは96億の魂をお生みになりました。そして96億の魂は親神さまのもとで理天界で暮らしていました。

<象天界>
 しかし、親神さまは私たちの魂を磨かせ、修業して成長させるために、象天界(しょうてんかい)という世界をお造りになり、そこに今からおよそ六万年前、96億の魂を降されました。象天界とは形ある世界のことで、いわば私達が住んでいる、この地球のことです。もちろん理天界には肉体というものはありません。ですから、病気やけがもなければ、いろいろなわずらいもありません。しかし、象天界で肉体を持った魂は、肉体を持ったがために様々な欲望が生まれてきたわけです。そしていつしか象天界を修業のための世界だということを忘れ、親神さまの言いつけを破り、魂を汚すこととなってしまいました。

<地獄界>
 このままでは理天界へ帰ることはできません。象天界で作ってしまった罪を浄化するための苦しい世界である地獄界(じごくかい)ができることとなりました。死後、魂は象天界を去ると、三途(さんず)の河を渡り地獄界へと行き、閻魔大王(えんまだいおう)の裁きによって行く先を決められます。そこで生前罪があれば、それを清算するために地獄界で苦しい刑期が科せられます。そして、その刑期が終わり罪を消滅したら、象天界へと魂は向かい、次の肉体に宿ることとなります。しかし、このとき人間に生まれ変わるとは限りません。生前の行いによっては、動物や鳥、魚や虫などの四生に生まれ変わることも往々にしてあります。いったん四生に生まれれば、再び人として生まれ変わるには何度も何度も転生を繰り返さなくてはなりません。九死に一生を得るとはまさにこのことをあらわしております。

<気天界>
 生前、悪をいましめ、善を行い、功徳の高かった霊は、死後、閻魔大王の審判によって、気天界へ魂の席が移されます。気天界はとても素晴らしく居心地のよい世界で、神社や仏閣の神々が住む世界です。しかし、気天界の在天期間には限りがあり、最高でも500年です。気天界の在天期間を過ぎれば、再び象天界に転生しなくてはなりません。

<三界輪廻>
 三界とは、象天界、気天界、地獄界の三つの世界のことです。魂は、この三界をぐるぐると果てしなく回り続け、生まれ故郷である理天界へ帰れなくなってしまったのです。さらに、象天界で念を残して死んだり、幼くして死んだりした魂は、三界の輪廻にも入れず、象天界の裏の世界である「地上餓鬼界」と言う世界を形成することとなってしまいました。
 さあ、次のステップでいよいよ三界の輪廻から解脱する唯一の方法、「得道」についてお話を進めさせていただきます。

   輪廻図


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4、得道(三宝/一指貫天の法)

 苦しい輪廻の世界より脱して、魂の故郷へ帰る切符を得ることを「得道」(とくどう)と呼びます。本当の救いは、人間の勝手な修行や信仰のみでは得ることは出来ません。親神さまのお許しのもと、理天の神仏が直接授ける救いの法を得て、はじめて本当の救いとなります。
 得道の儀式で伝授されるお宝を「三宝」と言います。しかし、三宝は天機と言って、いわゆる天の機密事項となっています。仏典にある「教化別伝(きょうげべつでん)・不立文字(ふりゅうもんじ)・以心伝心(いしんでんしん)」とはまさにこの三宝のことを示しているのです。天機ですので、その全容をここで明かすことはできませんが、どのようなものかだけ、触れることにします。

1、『合同(ごうどう)』
 これは手の組み方、手印であり心印です。万霊の親神さまとの親子の絆、親と子の証を表すものです。

2、『口訣(こうけつ)・無字真経(むじしんきょう)』
 無字真経は、字のないまことのお経です。このお経は護身の究極と言っていいものです。もしも身に危険が迫ったとき、手印を組み、無字真経を唱えれば、たちどころに神佛の御加護があり、どんな災難も回避することができます。

3、『玄関(げんかん)・霊魂の正門』
 魂の正しい出入り口「玄関」を開けてもらいます。得道で、この魂の玄関を開けて頂くことによって、死後、霊魂は肉体から玄関を通って出ることになります。
 この玄関は理天界へ直結する門戸です。この玄関が開いていないと魂は他の穴から出て行きます。目から魂が出れば鳥類、耳から出れば四つ足に、口から出れば魚類、鼻から出れば虫に転生すると言われています。つまり、玄関以外から出た魂は、再び生まれ変わらなければならないのです。

 得道によって玄関が開いた私たちは、三界を輪廻することもなく、次の肉体に転生することもなく、理天界と言う最高の極楽世界へ行くことが出来るのです。もう二度とこの世にも、地獄にも生まれ変わる必要はありません。
 得道をすれば、死後、玄関から魂が出て理天から迎えの神々に誘われて、魂の故郷、親神さまの御許である極楽理天界に帰り着くことが出来ます。得道者のお骨の玄関の位置には、小さな穴が開いていた、死後硬直せず安らかな顔だった、と言う報告が多数よせられています。これは親神さまの勅命・天命ある天道にのみ許された救いです。他のどんなに素晴らしい教えを説く宗教でも、決して得ることは出来ません。
 宗教などは心を癒(いや)し、救いの手を差し伸べることは出来ます。しかし、魂の救いまでは到達できません。ですから、どんなに宗教の教えを極めても、魂の行き先は気天界までで止まってしまいます。また、逆に宗教によって人心をまどわし、私腹を肥やすようなことがあれば、地獄の最下層まで真っ逆さまに落とされてしまいます。
 天道には一度お参りするだけで天国へ行くことができる「得道」があります。得道を得さえすれば、理天界での永遠の幸せが約束されます。これ以上の幸せはどこにもありません。得道を受ければ、もう救われていることですから、死後何の心配もいりません。この得道を受けるには、特別な資格や修行も必要なく、年齢も問いません。信仰をお持ちの方はそのまま続けて下さっても結構です。素直な心さえあれば、ご先祖さまのお徳によりそれを得る機会が与えられます。ただ真心を示すための功徳費を納めるのみです。(※功徳費は一万円以上となっております。)

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5、単伝から普伝へ

 さて、どうして三宝、そして天道は長い間人々に知られることなく、しかしながら脈々と今日まで続いてきたのでしょうか。

 天道は、宇宙誕生から既に存在していました。天道が人の手に降りたのは今から約5千年前の中国でのことです。万物の理を解き明かした伏羲氏(ふくぎし)を始めに約1500年間、帝王から帝王へと伝えられ、次に主にインドにおいて約3000年間、聖人から聖人へと伝えられ、1人から1人へ、いわゆる一子相伝(いっしそうでん)の秘伝として伝えられました。この時代のことを「単伝」と言います。それは多くの人の手に渡って分派分裂するのを避けるためであり、確実に後世へと伝えるためです。全ての弟子に真法を伝授することができなかった師が少しでもご縁をつなげる為に説いたものが宗教の教えとなって今日まで残されているというわけです。魂の成長のためにこの世に降ろされてきたわけですから、一人前にならないままの状態で理天に帰ることでは意味がないのです。ですから厳しい修行を重ね、真理と大愛を学んだ、聖人賢者レベルの方でなければ、得道を許されなかったのです。これを「先修後得(せんしゅうこうとく)」と言います。
 しかし、末世の大災難の迫るこの時期に至り、親神さまの大慈大悲により、広く人霊に法(三宝)を伝えることが許されました。これを「普伝」と言い、19世紀頃より庶民から庶民へ伝えることが許され、難行苦行をせずとも帝王・聖人が得た法を得られるようになりました。すなわち、先に法を得てから後にこの道を行ずることをもって修練する「先得後修(せんとくこうしゅう)」の時代へと切り替わったのです。

 人類が積み重ねてきた業(カルマ)はふくれ上がり、爆発寸前です。地球規模の大きな清算、浄化が行われる前に、全ての霊を救うべく広く世に天道を知らせることとなったのです。

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6、四難を越えて

 先得後修によって、簡単に法を得られたかに思えますが、法を得るために四つの難関を突破してきたのです。
 すなわち、「1、人身得難く 2、法域に生まれ難く 3、明師にめぐり難く 4、大道に逢い難し」この四つを『四難』と申します。
 まずは、得道するには肉体を持っていないと受けることができませんから、人として生まれてくる難関。次に、その時代に天道が伝わっている土地に生まれてくる難関。次に、その土地で天道を行ずる人にめぐり合う難関。そして最後に、自分自身がこの道を信じ、法(三宝)を求め得ようと決心をする難関を乗り越えて、やっと得られたのです。

 私たちは前世、前々世の徳、またご先祖さまの隠徳によりまして、この四難を越え、得難き法を得ることが出来ました。何故に四難を越えることが出来たのでしょうか。

  それはご先祖さまが、その縁をたどり、私たちに何としても一族の代表として法を得て欲しいと、自らを犠牲にされたからです。また、私たち自身の使命として、一族を救わせて頂くと約束して地上に下生したのであります。その意味では、後修とは自らのご先祖さまを救い、また自らの人生の真の意義を明らかとすることに繋がるものと言えます。

 自らの因縁のしがらみは、前世、前々世の積み重ねによって、今世に現されたものです。それは、あらゆる障害となって現れてくることとなります。

 今、私たちは先祖の支えがあり、一族の因縁を切り換える時にあいました。先得後修とは、先に理天界への切符を得て、後に自己を修めると共に、支えて頂いたご先祖も、共に理天界に帰らせて頂くと言う意味のものです。
 『供養』と言う字は「人と共に養う」と書きますが、自らをして修めていくことが供養へと繋がります。その意味では後修とは、先祖と共に因縁を解消して行くこととも言えます。天道の護摩木を奉納したり、御神水を飲んだり、また知人友人にそれを伝えたりすることが修めることに通じ、真なる先祖供養となります。その先祖供養の最高峰、最大のご恩返しとなるのが超抜式です。

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7、霊の得道儀式

 本来、肉体を持った人間が得道を許され、理天に帰るのが正しいルートですが、霊界にも救いの門戸が開かれ、理天の神仏が示して下さった護摩木や護摩符、御神水、分堂などの「道具」と言う様々なアイテムを使用することにより、霊が徳を積み、理天の神仏が霊の立てた徳に応じて審判式で判断し、これに合格した霊が『超抜式』に臨むことが許されます。超抜式とは、『霊の得道式』のことです。霊は肉体がありませんから、得道を得ることはできませんので、私たちの肉体と玄関をお貸しすることによって、霊の得道式が成立します。これを『修霊超抜』と言います。以前は気天界の優秀な霊しかこの超抜を受けるチャンスを得られませんでした。しかし、徐々に救霊の体制が整い、今ではありとあらゆる霊が年に二度、超抜のチャンスを与えられるようになり、一回につき1万霊を越える修霊が理天界へ帰ることが叶っています。超抜された修霊の中には、聖徳太子や空海、道元禅師、鑑真、武田信玄、役小角、徐福など歴史的に有名な方々もいらっしゃいます。さらに2007年より、亡くなった家族、友人を名指しでお救いできる『祖霊超抜』がはじまりました。

 私達が得道で永遠の救いを得ることができたのも、地獄で苦しむご先祖さまたちが「今よりもっと苦しい世界に堕ちてでも、あの子に何とか道を得させてあげたい」と、なけなしの功徳をはたいて徳の仕送りをしてくださったからです。このご恩を返すことが出来るのが護摩木、護摩符などの天道の道具であり、その究極が『超抜式』です。
 超抜式に参加しますと、理天に昇られたご先祖さまが生涯、守護神としておまもりくださり、絶大な功徳が頂けます。超抜されたご先祖様がつんできた「お徳」は、理天ではもう使うことは無いので、体を貸してくれたお礼としてみなさんに手渡されます。ご先祖さまへの最高のご恩返し。現世の私たちも運気が上昇していきます。

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8、万物の創造主、魂の親神

 天地創造の主、私たち全ての魂をお産みになられた親神さま、その名をラウムさまと言います。このお名前は飛鸞宣化(ひらんせんか)と言う天道にのみ許されている唯一の天と人との連絡法を通じ、御自身で明かされました。

 今や現代科学に於いても全てのものが無から生まれるという宇宙の法則は、認めざるを得ないことだそうですが、このラウムという字の成り立ちは、正にそれを表しています。無、例えて言うなら、波ひとつ立たない水面に、ラウムさまが石をひとつ投げ入れ、そのひとつのきっかけにより波紋が起こり、重い気と軽い気に分かれ、それぞれが陰陽となったという、万物創造の理を表しています。このことは音でも表され、「ラ」は陽の開く音、「ム」は陰の閉じる音で、陽で開き陰で閉じることが示されます。ラウムの文字は、「中」という漢字にある二つの四角い部分に点を書いて表わされます。神という字が「ラウムを示す」と書くことにも表されるように、静かに脈々とその存在は伝えられてきました。
                             ラウム
 世の中には多くの宗教があります。それぞれには信仰する神様がいるわけですが、たとえば、仏教では阿弥陀仏、イスラムではアッラー、儒教では上帝、道教では天地生育之母、神道では天之御中主神(アメノミナカヌシノオオカミ)、キリスト教では天父、天主、エホバ、などといわれています。しかし、このそれぞれの神様は、名前はちがいますが、実を言うとどれも親神ラウムさまのことを指しています。私たちがお母さんのことを、ママ、おふくろ、母上、などと呼ぶのと同じことです。親神さまはたましいのお母様ですから先天の母であり、私達を産んでくれた肉体の母は後天の母という事になります。ラウムの文字を横に90度回転させると、「母」と言う漢字になります。

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9、天道と宗教の違い

 宗教が違うと、思想も違います。そして、宗教同士の対立や争いも世界中でよく見受けられます。しかし、宇宙はひとつ。そして、創造神もお一方。私たちの魂の親神さまもお一方です。天道は宗教の根本に当たるものです。天道はあらゆる宗教の根元であり、あらゆる宗教が最終的に行き着くところであります。山に例えれば、各宗教が各登山口であり、山頂が天道となります。また、木に例えれば、天道を根っこにして五大宗教の枝が分かれ、多くの葉っぱとなる宗教がそこからたくさん現れています。更に申せば、天道とは、聖人の方達が求め得た法そのものであり、宗教とは、聖人の方達がその法を用いて周囲の人に説いた教えという事になります。

『天道には天命(親神さまによる命)がある』
 天道は、親神さまの直々の命令が直接人に伝えられるため、教祖がおりません。全てが親神さまの命を受けて生まれ、親神さまの命によって存在し、動いています。

『天道には真の救いがある』
 宗教を求め頑張れば、心と体の救いを得ることができますが、本当の救い、つまり魂の救いを得ることはできません。天道には心と体だけの救いだけでなく、魂の永遠の救いを得ることができる「得道(とくどう)」があります。

『永遠の極楽、理天界に帰れる』
 この「得道」を受ければ、輪廻転生(生まれ変わり)を解脱して、永遠の極楽世界であり、親神さまのいらっしゃる真の天国である理天界へ帰ることができます。宗教をいくらがんばっても、この輪廻転生だけはどうしようもありません。死後、一時的な仮の天国、気天界へ行ったとしても、またわずらい多きこの世に肉体をもって生まれ変わらなくてはなりません。霊にとって、最も苦しい事とは、生まれては死に、生まれては死に、という修行の旅がずっと続き、終わりが見えない事、安住の地が永遠に無い事なのです。
 天道の得道を得る事により、この永遠の苦しみから解き放たれ、親神さまの御許(みもと)へかえる事がかないます。

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10、御聖訓

~天道のみに許された神人連絡法~
 御聖訓とは、天道にしか許されていない砂文字による御神示であり、唯一の神人連絡法です。御聖訓はまたの名を飛鸞宣化(ひらんせんか)といいます。1843年には、宇宙の創造神である親神さまご自身が、この飛鸞宣化により本当の名前を明かされ、現在もなお盛んに行われています。
 御聖訓は、木筆を持ち、神霊の降臨を得て砂盤に文字を記す天才、その文字を書き留める地才、文字を読み上げる人才の三才による合霊によって初めて記されます。
 三才が砂盤を囲み、守玄瞑想すると、理天界の御神佛が降臨し、筆を持った天才と霊魂が入れ替わります。これを入竅(にゅうきょう)といいます。
 天才が入竅の状態になると、木筆は流れるようによどみなく動き、砂盤に神示が書かれていきます。御聖訓を降される神々は、宇宙の最高峰の神々です。霊媒や巫女などといった低級の霊がさわれるものではなく、人が勝手に書けるものではありません。今までもそれを証明するかの如く様々な神業を御聖訓の中で見せて下さいました。三才全てが目隠しをして行ったり、二つの砂盤により掛け合いにて行ったこともあります。また書体を変えたり、文字をひっくり返して書いり、梵字やヘブライ語、英語そして回文で書いたり。紙芝居のように絵で説いたり。とにかく様々な形をもって私たちを感化して下さいました。
 天道には教祖という存在はありません。すべての道務執行は、まずこの御聖訓を受けて始まります。

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11、あらゆる願いをかなえる

 天道では全ての人の幸福を祈り、どんな悩みでも解消し、願い事をかなえる神の力が降ろされています。
 願い事をかなえる様々な「天命の道具」を使い、おかげを頂くことができます。護摩木やお符、分堂というパワーストーン、神様の息吹がこめられた聖水等々がその道具で、多くの神々が働くように、多くの道具が用意されています。霊(たましい)を救う「三宝」と、心や人間としての生活等を救う「天命の道具」が、天道の救いの両輪となっております。

 たとえば、病気、お金、家庭、結婚、恋愛など、悩みのほとんどが自分自身のご先祖さまの因縁や、前世、前々世の因縁のからみで起きています。因縁は問題の根源的原因とも言え、その因縁を解消しない限り、その悩みや問題が解消されることはありません。
 また、願い事を成就させるためには、自分自身の努力も必要ですが、それにともなって、ご先祖さまや御神仏のご加霊をいただくことで成就することができます。願いを成就させるために「十の力」が必要だとすれば、自分自身が精一杯努力して「五の力」を出し切ったとします。それに足りない後の「五」を、天命の道具でご神仏やご先祖さまに力を添えていただくことによって願い事が成就するのです。

 宗教団体や神社、寺院で祈祷などを通じて、悩み事の解消を求めたり、願い事を託すと、「福禄寿(ふくろくじゅ)の調整」と言って、その願いを聞き入れる代わりに、「自分自身の幸せ」、「収入や財産」、「寿命」のどれかを引きかえに取られます。そこの主である神がそれで神としての力を得ることになり、自信は何かを犠牲にして、その願いを聞き入れてもらうこととなります。
 しかし、天道のご利益には一切、福禄寿の搾取(さくしゅ)がありません。それは神さまや霊団も、天命の道具で働くことが親神さまの命で定められているからで、結局はその天命の道具で働き、その神さまも霊団も、超抜と言う救いの正法を受けることになるからです。根本的に宗教のご利益とは違い、本当に安全なご利益がいただけるとお考えください。
 天道と宗教のご利益の違いの大きな柱は、福禄寿の搾取(さくしゅ)があるかないかです。

『病気平癒』
 病になる直接的原因の裏には、ほとんどの場合、霊的な干渉、因縁の影響があります。たとえ病院で治療をして表面的に治ったとしても、原因となる因縁が解消されない限り、再発したり別の形で障害となって現れてきます。
 病気平癒を願う道具は、病の原因となる霊や因縁を浄化し、病を根本から治し、癒します。また救いを求めるご先祖さまの訴えが病として現れる場合があるので、先祖供養もすることもお勧めします。

『商売繁盛/財運向上』
 人は、定められた福禄寿を持って生まれてきます。その人の背負った宿命、運命によって仕事がうまくいくかいかないか、お金が入ってくるか来ないか等は、ある程度決まっています。
 しかし天道は、運命を変えるだけではなく、変えることのできないとされる宿命をも切り替えることができます。「商売繁盛の道具」を使って自分自身にまつわる様々な因縁を解消し、運や財を運ぶ神々やご先祖さまを動かすことで、幸せな未来を築くことができるのです。

『良縁吉祥/結婚祈願』
 人との出会いや関わりには、必ず四生(ししょう)因縁が深く関わってきます。四生因縁とは、全ての霊を四つに分ける因縁で、胎生(たいせい)のほ乳類、卵生(らんせい)の鳥類、湿生(しっせい)の魚貝類、化生(かせい)の甲羅・虫類の四生の因縁で、必ず誰もが背負っている因縁です。この四生は、人間関係やお金、物など、私たちの生活全てに深く関わり、影響を与えています。これは過去世から積み上げてきた自分自身の因縁や一族の因縁からくるものです。
「人間関係・良縁吉祥」の道具で「四生因縁解消」や「四生供養」をすることで、人間関係を良くし、良い出会いを深め、恋愛成就、結婚祈願などのおかげを頂くことができます。また、悪い縁も良い縁に切り替えることができます。

『水子供養』
 中絶や流産などで亡くなった霊や、赤ちゃんや、成人する前に亡くなった霊は、みんな暗くて寂しい水子界に行きます。水子と縁のない家庭はありません。自分に水子がいなくても、一族・先祖代々の背負う水子は多くあり、今の私たちの生活に大きな影響を与えています。ゆえに、自分に水子がいなくても、幸せになるためには、先祖供養と同様に水子供養は必須の供養となります。
 天道の道具は、自分や家族、一族に関わる全ての水子を、根源的に供養・救済することができます。救い難い水子を救い、世の苦しみを消しながら私たちや一族の運気を上昇させます。

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12、先祖供養

 幸せな人生の根幹は、先祖供養にあります。今、私たちが存在すること自体が、この世に送り出してくれたご先祖さまのおかげです。「お父さんには両親がいて。お母さんにも両親がいて、その両親にも両親…」と数えていくと、一人の人間には莫大な数のご先祖さまがいます。これら、多くのご先祖さまがいつもいつも、休むことなく私たちを見守ってくれています。

■ご先祖さまの状態がそのまま私たちに!
 私たちは、たくさんのご先祖さまから、様々なものを送りこまれて生きています。今、もし私や家族に困ったことや苦しい状況が起きているなら、霊界で苦しんでるご先祖さまが多いということですし、今、色々な面で恵まれているなら、ご先祖さまがとてもがんばってくださっているんです。

■私たちから、ご先祖さまに仕送りを
 反対に私たちの行動の一つ一つもご先祖さまに仕送りされますから、ご先祖に感謝せずに良くない生活を続けていれば、ご先祖さまは霊界でがんじがらめになり、その苦しみがまた私たちのところへ返ってきて事故や病気、不運になってふりかかります。
 また、私たちが心をこめて真の供養を届ければ、ご先祖さまの力も増し、苦しい世界のご先祖さまは、どんどん上の世界に上がって、楽になっていきます。そして私たちに、たくさんの恩恵と守護を送ってくださるのです。

■本当の供養で皆が幸せになる!
ご先祖さまも、今生きている私たちも、皆が幸せになるために、天道の先祖供養をおすすめします!

~六道輪廻のご先祖さま~
 ご先祖さまの魂は六道(気天道・阿修羅道・人間道・畜生道・餓鬼道・地獄道)をぐるぐる輪廻転生しています。六道の中の上三道にいる魂もあれば、苦しい下三道にいる魂もあります。でも、実はほとんどのご先祖さまが供養を待つ下三道にいるんです。

<上三道(気天道・阿修羅道・人間道)>
 気天道・阿修羅道のご先祖さまを供養すれば財産・地位・愛・人気、指導・統率・感化力・力・勇気・強運など、全ての面で恵まれます
 人間界のご先祖さまからは信頼・理解・安らぎ・愛・友情・感謝などを得ます。
また、まわりの人たちは、ご先祖さまの生まれ変わりや前世の家族。他の人への奉仕や愛、家族への感謝は、一番身近な先祖供養です。

<下三道(畜生道・餓鬼道・地獄道)>
 畜生道・餓鬼道・地獄道のご先祖さまを供養すれば、心身の病気や不調が消えます。また、財運アップ、人間関係改善にもつながります。執着や過度な欲求が消えたり、争いやトラブルが解決し、事故や事件から守られます。活力がわき、悪癖・性格改善にもつながります。ご先祖さまも段階をふんで、上の世界へと昇れます。
 ご先祖さまの中には、病気で亡くなった方、不慮(ふりょ)の事故で亡くなった方など、未だに救われずに苦しんでいる方々が何代もさかのぼって沢山います。それらのご先祖さまを供養することで、子孫である私たちの幸せにつながります。先祖供養の頂点が『超抜式』です。

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13、天道の護摩

 天道では白陽収円(はくようしゅうえん)護摩供を一年の総決算、最大の護摩として、地方護摩、大典護摩、月例行事等、随所随所に護摩が焚かれます。
 護摩とは、サンスクリット語の「ホーマ」といわれるものを漢字で「護摩」と音写したもので、焚くという意味がありますが、護摩を焚くのは天道のみではなく、密教や修験道、神道等でも焚かれます。では天道の護摩とそれらの護摩ではどのように違うのでしょうか?

  一番大きな違いとしては、天道の護摩は親神さまの天命の許に行われると言うことです。護摩毎に佛規を頂き、その佛規に則して執行され、必ず霊の救いに繋がります。宗教で行われている護摩供は古来からの伝承であり、現世利益や霊界の力を単に用いる手段、加持祈祷として焚かれるのに対して、天道の護摩供は救霊が第一の目的であり、その副産物として多くの前世利益がもたらされるものです。たとえて言うなら、形を変えた得道儀式の様なものです。護摩を焚くことによってその護摩に集う人や寄せられた多くの護摩木等に関わる多くの霊が確実に救霊の段階を上がることが出来ます。得道儀式においても表文を奏呈し焚き上げるように、護摩壇で焚かれる護摩木やお札はその一本一本、一枚一枚が表文であり、ご先祖さまのために子孫からご神佛に届けられる嘆願書の様なものです。

 最初に護摩についてご神佛より示されたのは昭和61年4月、ソウ(火へんに土)君護摩佛規による「ソウ君北斗七星護摩供」でした。護摩を司るご神佛であるソウ君は、このご聖訓の中で、「香炉を護摩壇に変えて子孫の願いを上天(理天界)へ届ける」と言われました。まさに護摩壇は天壇の香炉と同じであるといえます。そして護摩壇にはその護摩供毎にその主となるご神佛が配されますが、護摩壇全般を総括的に司るご神佛はソウ君であります。「ソウ君」は竈(かまど)の神、香炉の神であり、日本の信仰で言えば「荒神(こうじん)」と言えます。古来から竈の神は私たちの行いを絶えず見張り、それを上天に報告する役があるとされています。ソウ君は天壇の香炉の神として天壇の置かれた家を護り、また人の行いを三官大帝(※三界の衆霊の功罪を帳簿に記録し、昇格・降職・超抜の審査を司る三柱の神)に報告する役があるとされています。
 護摩壇は私たちと理天のご神佛を仲介する儀式であり、また霊の救済の儀式であります。そして護摩の火の浄化力は全ての因縁、煩悩を焼き尽くすものです。
 護摩は白陽収圓護摩供を一年と総決算と護摩供としますが、地方で焚かれる地方護摩はそれぞれの地方の総決算の護摩であり、それぞれに救霊の役割に応じた形態で焚かれます。天道の護摩は世界規模の大災害を回避させゆく力を持ち、全ての人霊を本当の幸せと救いへと導きます。また個人にとっても、どのような願いでもかなえる奇跡の護摩です。是非ふるってご参加ください。

~全国の主要な護摩供とご利益・目的~
■北斗鎮圧護摩供(北海道地区)
 ・・・厄払い、交通安産、魔の封印、武芸上達、精霊供養など
■地蔵尊王護摩供(東北地区)
 ・・・水子供養、子宝祈願、安産祈願、家庭円満など
■八大明王護摩供(関東地区)
 ・・・商売繁盛、財運上昇、餓鬼霊・地上餓鬼霊・阿修羅霊供養など
■大元地空護摩供(長野地区)
 ・・・潜在能力開発、運気向上、政治経済安定、五気五行順行など
■禄存宝珠護摩供(中部・北陸地区)
 ・・・病気平癒、健康祈願、ストレス解消、悪想念の浄化など
■施餓鬼供養護摩供(関西地区)
 ・・・先祖供養、家内安産、家庭円満、下三道供養など
■閻魔天王護摩供(四国・中国地区)
 ・・・罪業浄化、地獄霊供養、戦没者供養、潜在能力開発など
■長生南十字星護摩供(九州地区)
 ・・・良縁吉祥、結婚祈願、人間関係改善、四生供養など
■鎮魂四海龍王護摩供(沖縄地区)
 ・・・不満解消、差別・いじめをなくす、民族・部落の解放など
■龍華開泰護摩供(台湾)
 ・・・民族・国家・文明の統一融合、商売繁盛、財運向上、世界平和など
■界光宇炎護摩供(ウガンダ)
 ・・・奴隷解放、霊性の復活、世直し、アフリカ全土の救済など
■玉璽開泰護摩供(インド)
 ・・・カースト解放、差別解消、霊性の復活、インド全土の救済など

14、分堂について

                          分堂

 「分堂(ぶんどう)」は、全国に設けられた「人と霊の癒しの聖地」であるお堂(聖院)の小さな出張所です。どんなに小さくても、力は無限。この「分堂」に祈れば、どこにいてもお堂(聖院)のご利益がすぐに頂けて、どんな願いも成就に結びつきます。

■小さな分堂に神さまの力
 一つ一つの分堂には、お願いごとを叶えるために、やる気まんまんになっている神さまがいっぱい詰まっています。だから持つ人が祈れば祈るほど、大きなご利益がいただけます。

■いろんな力が集まる石
 「分堂」はどんなに小さくても、全国にあるお堂からの力を十二分に発揮します。そして、家や土地の持っている力、持つ人の守護神の力、そしてその石自体に宿っている力をすべて出しきる場になります。

■苦しみや悲しみを除く
 また、すべての苦しみや悲しみを吸いとり、それはお堂へ送られて、浄化されるので、無限の力を発揮することができるのです。

■幸せを運ぶ小さなお堂
 「分堂」は、願事に合わせた専門の大きな神さまと、身近な神さまが働く、自分だけの小さなお堂です。部屋や玄関に置いて、たくさんの幸せをもらってくださいね!

~どんどん願いごとが叶います!置いた場所を霊的にキレイに掃除します~
<奇跡談>
・あきらめていた再婚が決まった!(49才女性)
・同級生のいじめがなくなった!(14才男子)
・商売が繁盛しだした!(51才男性)
・営業成績がおどろくほど伸びた!(32才男性)
・漫画家デビューできた!(23才女性)

~そんなあなたにこんな分堂!~
☆聖玄武院/玄武堂(北海道地区)
 交通安全、厄よけ、武芸上達、魔の封印、精霊供養

☆聖地蔵院/地蔵堂(東北地区)
 水子供養、子宝・安産、家庭問題

☆聖明王院/明王堂(関東地区)
 商売繁盛、財運上昇、運気向上、全ての和合

☆聖地空院(信州地区)
 潜在能力開発、チャクラ開発、政治経済安定

☆聖宝珠院(中部・北陸地区)
○薬師堂(三重県) 病気平癒、難病克服
○龍王堂(愛知県) 怪我平癒、土地の浄化、五穀豊穣、気象統御
○金剛堂(岐阜県) 神経症、精神病平癒、ストレス解消、諸芸上達、病を気から癒す
○千手堂(北陸)  集中力向上、悪想念の浄化、学力向上、試験合格
○龍樹堂(岐阜県) 煩悩を消す、気持ちの安定、諸芸上達、精神病平癒

☆聖北斗院/北斗堂(関西地区)
 先祖供養、家内安全、家庭円満、家内繁盛、下三道供養(餓鬼・畜生・地獄)

☆聖妙善院(山陰山陽・四国地区)
○退魔堂(四国/愛媛) 罪を消す、悪霊退散、悪癖改善、地獄霊供養、活力アップ
○大国堂(鳥取) 潜在能力開発、超能力開発、運気上昇、封印を解く
○平和堂(広島) 戦没者供養、不成仏霊供養、世界平和

☆聖天守院/南十字堂(九州地区)
 良縁吉祥、結婚祈願、人材獲得、尋ね人、商談成立、人間関係改善、四生供養

☆聖紫光院/南十字堂(沖縄)
 差別・いじめをなくす、弱者解放、民族・部落の解放、不公平是正、不満の解消

☆聖龍華院(台湾)
 全ての民族・国家・文明の統一融合、商売繁盛、財運向上

☆聖界光院(アフリカ地区)
 奴隷解放、霊性の復活、世直し、アフリカ全土の救済

☆聖玉璽院(インド地区)
 カースト解放、差別解消、霊性の復活、インド全土の救済

~分堂Q&A~
●お願いごとをしたら急に分堂の色が変わりました。

●置いてあった分堂が急にヒビが入ってしまいました。
→ものすごく働いた結果、神様の宿る石の外見が、変化する事があります。分堂の力は無限なのですが、そのような時は、観音堂(※兵庫県三田市にある天道の総本山にあります)にお納めして新しいものに交換すると良いでしょう。

●分堂にお水やお菓子のお供えをしなければいけませんか?
→そうすれば分堂に宿る霊神はとっても喜びます。でも、決まったお祭りの仕方はありませんから、どんな形でも、持ち主の心が伝わるならOKです。

●分堂は持ち歩いてかまいませんか。
→大いにけっこうです。ペンダントやキーホルダーにして持ち歩いて、いざという時にお願いをしたり、時には持ち主の身代わりになって、突然パーンと割れることもあります。 家に設置する分、持ち歩く分と分けて使う達人も多いのです。

●種類はどんなものがいいのですか?
→お願いごとの石の他に、自分の因縁にかかわる別の石も持って強化すれば、より効き目が強くなります。御堂(伝道会)の人にアドバイスをもらったり、鳴り護摩で聞いたりしてみて下さい。
 また、自分で直感的に選ぶのも良いです。見ていてどうしても欲しくなった石は、あなたにとって必要な分堂なのです。

●左下の字は何て書いてあるのですか。
 「中正」と書いてあります。何にも偏らない、中心のものという意味です。この分堂は、どんなに個人的なお願いごとをしても、すべて天命にそった正しい因縁解消と供養に結びつくようになっています。

※分堂の奉納料は携帯用(2~3cm)700円、極小(約3cm)1000円、小(約4cm)1200円、中(約5cm)1500円、大(約7cm)2500円となっております。

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16、因縁とは?

 「こうすれば、こうなる」と言う「原因と結果」のことを『因果(いんが)』と言います。『因縁(いんねん)』は、この因果がおこる時に出来る、相手との目に見えない「つながり」のことです。

~因果の法則~
(因)種をまく (果)実を収穫 (果→因)実から次の種を得る
「やれば、やられる」のが因果法則。良いものも悪いものも必ずどこかで同じものが返ってきます。

~良い因縁の出来方~
(因)助けた (果)助けられた

~悪い因縁の出来方~
(因)なぐった (果)なぐられた 

■いろんな因果

 すぐに結果が返ってくるわかりやすい「因果」もあれば、自分では分からない、魂にきざまれた遠い過去の「因縁」もあります。

■見えない因縁が導く

 こうやって因と果はいろんな形でくりかえされるので、「因縁」の糸は複雑にからまって、何が何とつながって、誰が何故つながってるのか、分からなくなっています。だから周りのすべての人や出来事は自分に因縁があるのに、ただそこにあるだけに思えたり、偶然の出来事にしか見えなかったりします。

■「因果応報」の鉄則
 自分が分からなくても、どんなに複雑に因縁がからまっていても、自分がやったことは、確実に正確に、自分に返ってくるのです。


~繰り返される因縁の輪~

①ある貧しい家に男の子が生まれました(ここからスタート)

②その子は親孝行で一生懸命、勉強してよく働きました。家はだんだん豊かになり、困っている人に物を分け与えて、自分ばかりでなく、他人のために真心をつくしました。(この因で↓)

③この人は、人として良い行いをしたので、死後は、天国(気天界)の神様になりました。ただし期限は百年です。(果として魂は天国へ昇りました。)

④次にこの人は、裕福な家に生まれました。家族や周りの人にも、大変大事にされました。(今度は前世の果として良い環境がもらえました。)

⑤甘やかされたせいで、気だては良いのですが、少しわがままで、思いやりが足りない子になりました。(果として次の因を生みます。)

⑥結婚しても、夫や子供のことよりも自分のことばかり考え、お金のムダ使いと夫婦ゲンカがたえませんでした。(この人はせっかくの良い果を悪い果にしてしまいました。)

⑦人としての道徳を忘れ、周りの人にも迷惑をかけたことで三十年間地獄で魂をみがくことになりました。(反省しつつ、最初の①に戻る)


~因縁を解消するには~

 私たちの魂は、生まれ変わりをくりかえすうちに、多くの「因縁」を作ってきました。
 これらの因縁は、複雑にからまってしまっているから、自分ではなかなかほどけず振りまわされてばかり。宿題である因縁が解消されないと、同じような問題がくりかえし起こったり、因縁のある霊さんの影響を受けて、自分でイヤな性格や状況がなかなか直せなかったりします。永年かかってできた因縁だから、現在の努力だけではなかなか解消が難しいのです。
 もちろん人間的努力をしながらも、見えない因縁をきれいにほどき、人生を思うとおりに切り開いて自分をピカピカに磨きあげるのが、天道の道具なのです。

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17、地獄のお話

◆すべての魂はいったん地獄へ
 人は亡くなったら、必ずいったん地獄の入り口へ行って、そこでその人の生前の良い行い・悪い行いが全部計算されます。そして次に行く世界が決定されます。

◆天国へ行ける魂はごくわずか
 ここで、天国(気天界)へ昇れるのはほんのわずかな魂だけ。ほとんどの魂は罪や汚れを落とすために地獄へ行って、苦しい刑を受けることになります。地獄は閻魔大王(えんまだいおう)のもと、十に分かれた世界をそれぞれ十殿閻君(じゅうでんえんくん)さまが管理されています。でも、地獄は、ただ恐ろしいところではなく、汚れてしまった魂をきれいに磨いて、また新しい出発をするためのところなのです。

~地獄のなりたち~
 実は、地獄界はもともと天国の中にあって、閻魔さまはその天国を管理する「夜摩(やま)」という神様でした。昔はこの世と天国(気天界)しかなく、地獄はありませんでした。この世で汚れてしまった魂は汚れを落とす場が無いので、重く沈み、天界へ昇ることができないまま、ただ、もがき苦しんでいました。
 天国(気天界)の中にもいろいろあって、『夜摩天』は、その中でも一番華やかで、一番美しい世界でした。『夜摩天』があまりにも素晴らしいところなので、そこに住む神々は、だんだんおごり、高ぶるようになっていきました。一方、人界の多くの魂は罪を重ね続け、どんどんと魂は汚れて苦しみ、どうしようもなくなってきました。そこで親神さまは夜摩天に白羽の矢を立て、そこを苦しむ魂の罪を浄化する場とすることにしました。これはつまり、栄華をほこった『夜摩天』が、奈落の底に落ちるという事。この決定に夜摩天の神々は騒然として、ほとんどの神が大反対して口々に言いました。
「汚ない魂のために、どうしてせっかく得た私の地位が奪われるの!」
「私のこの楽しい生活はどうなるの!」
 自分のことばかり言っていた夜摩天の神々は、一瞬の内に魂が曇り、新しく出来た地獄界へ落ちてしまいました。
 でもほんのわずか、この決定に賛成する魂がいました。この勇気ある魂は十人いました。
「地上で苦しむ魂たちが助かる世界ができるのであれば、賛成です。私の華やかな生活が失われてもかまいません。それらの魂を救うお手伝いをさせて下さい。」と。
それまで『夜摩天』を管理していた夜摩さまは、「閻魔(えんま)」と名前を改めました。そして、地獄を第一殿から第十殿の十の世界に分けて、賛成を申し出た十人の魂がそれぞれの地獄を管理して、十殿閻君(じゅうでんえんくん)と呼ばれるようになりました。 
こうして最も栄華な天界は、汚れた魂が苦しい刑罰を受けて自分の過ちに気づき、罪を清算浄化する場となり、多くの魂を救うために地獄が誕生したのです。
 
 
~地獄の仕組み(地獄十殿)~ 
【入り口】第一殿/秦広王
地獄に来る魂の罪業によって、刑期と罰が決定される。

【等活地獄】第二殿/楚江王
飽食や快楽を求めたものが落ちる地獄。食べた動物の糞尿の池に落ち、肉を食いちぎられる。火に焼かれ、剣山を上り、釜で煎じられるが、何度でも体は元通りとなり、苦しみが繰り返される。

【黒縄地獄】第三殿/宋帝王
殺と盗の罪を犯した者が落ちる地獄。焼き鉄板の上で体を切り刻まれる。熱した鉄の縄で縛り上げられ、弓矢や剣で串刺しにされる。

【衆合地獄】第四殿/五官王
淫らな行い、邪しまな商売、金品着服の罪を犯した者が落ちる地獄。岩で押しつぶされ砕かれる。刀の林でずたずたに切り裂かれ、燃える柱を抱かされる。我が子が裂かれるのを見せられる。

【叫喚地獄】第五殿/閻羅王
酒や賭け事におぼれ、ゆがんだ心を洗う灼熱地獄。油鍋で揚げられ、口の中に真っ赤に煮えたぎる銅汁を入れられる。404の苦しい病にむしばまれ、虫に食い破られる。

【大叫喚地獄】第六殿/卞城王
ウソや中傷、欲が過ぎた者、五戒を破った者が落ちる地獄。悪口雑言を述べた口や舌を裂かれ、引き抜かれる。また、目をくりぬかれるが何度も生え、くりかえし抜かれる。

【焦熱地獄】第七殿/泰山王
間違った教え、職権乱用、買収、策略の罪を犯した者が落ちる。串刺しにされ、炎であぶられる炎熱地獄。釜で炒められて肉団子になる。

【大焦熱地獄】第八殿/都市王
第七殿までで足りない刑を補足。十六の小地獄がある。燃えさかる炎の刀で皮をそがれ、錫杖(しゃくじょう)で打ちつぶされ、高いがけから火むろに落とされる。第七殿より更に苦しい炎熱地獄。

【阿鼻地獄】第九殿/平等王
邪道や親を傷つける等の罪。億万の苦を集めた最も悲惨な地獄で、無間地獄とも言う。他の地獄を全て集めても無間地獄に比べれば極楽のようなもの。

【輪廻転生へ】第十殿/転輪王
今までの記憶を消す迷魂湯(めいこんとう)を飲まされ、前世を忘れて転生へ。次に獣や魚、虫に生まれ変わる事が多い。

~地獄で苦しみご先祖さまを供養しよう!~

 地獄のお話は決して他人ごとではありません。地獄は、天道の一指貫天の法(得道/三宝)を受けない限り、亡くなったら誰でも必ず行く世界であり、ほとんどのご先祖さまがこの地獄界で苦しんでいます。
 地獄にいるご先祖さまを供養すれば、私達にふりかかっていた悪い運気や病気、霊の影響がすっきり浄化されます。それから、もちろん自分自身の罪や汚れも。
 「あの時、靴を隠してごめんなさい。」「私の言った一言であんなことに」、その他、人に言えないさまざまなことや、自分の心の中に潜む暗黒の心、イヤな癖、人に知られたくない過去が、きれいに洗われます。
 罪業消滅、先祖供養、性格改善、悪癖改善、生活改善、運気上昇、鬼門の浄化・・・。などなど。なんでも天道の護摩木にお書きください。
 魂をすっきりゴシゴシ洗ったら、とっても気持ちよくなります!
 ご先祖さまも地獄の刑期が軽くなったり免除されて、地獄界から抜けて、大喜びです!
 (この世で行うほんの少しの浄化は、地獄界の何万年分もの浄化に匹敵します。)

☆護摩木、護摩符などの天道の道具のお求めは yumimari0728@yahoo.co.jp まで☆

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18、六道について

 六道とは、気天道(きてんどう)、阿修羅道(あしゅらどう)、人間道畜生道(ちくしょうどう)、餓鬼道(がきどう)、地獄道と呼ばれる六つの世界のことです。魂はこの六つの世界を輪廻しています。そして、私たちが人間として生きる中でとても深く影響を与えています。
 人間道と畜生道は、今私たちが現実に見える世界、象天界にあります。人間として、そして色々な動物として、それぞれの修行をしているのです。気天界には気天道と阿修羅道があります。この世界は、人間だった時に徳をたくさん積んだ魂が昇るところで、普通、「天国」と言われるところです。阿修羅道は、気天界の中でも、戦い好きな荒々しい世界です。餓鬼道、地獄道は、一番苦しい世界です。人間世界での悪い行ないの分だけ、ここで苦しめられて清められなければならないのです。
 
~六道がまとまっていないと~
○たとえば、本人があそこへ行きたいと思っても、他の五道が反対していれば、突然の急用や事故などで行けなくなったりします。
○反対に、そんなに望んでいなくても、自然にことが運び、いつの間にかそうなってしまった、と言うような時には、他の霊たちが、そのように仕向けている時です。
○全くみんなバラバラの主張をしていると、迷って迷ってなかなか決められなかったり、日によって気持ちが変わったり、邪魔が入ったりします。そして結局目的が定まらないまま全部うまく行かず、まわりに「意思が弱い」なんて言われるようになります。

 実は、一人の人間の中にも、この「六道」があります。意見も性質も違うこれらの霊から、私たちは考え方や行動にいつも影響を受けているんです。ですから、この六道が、意見がバラバラで、好き勝手な主張をしていると、その人は正しい判断が出来ず、落ち着きがなく、優柔不断で感情の浮き沈みが激しくなったり、不安になったりします。やりたい事もなかなかうまく行きません。六道が人間道を中心に、正しくちゃんとまとまっていると、その人は人間性がすぐれ、落ち着いていて、いつも迷わず正しい判断をつけられます。何をしてもうまく行くんです。

~車と運転手の関係~
 肉体と魂の関係は、よく車と運転手にたとえられます。すなわち肉体は車であり、魂はその運転手であるのです。もし運転を誤まって車が事故を起こしたとすれば、その罪は運転手の罪であって車の罪ではありません。運転手はその罪の償いのため、死亡事故などであれば刑務所に入れられます。
 霊も同じです。人である時に起こした罪により地獄に堕ちて罪の償いをしなければなりません。また車が古くなれば買い換えるように、肉体も寿命を終えれば亡くなり、運転手である霊は一時車から降りて(霊界で)生活するも、再び別の肉体(車)に乗って新たな人生(人間以外に生まれるかも知れないが)を歩むのです。
 このように車を次々に乗り換えるように生まれ変わり、霊界と現象世界を行ったり来たりすることを輪廻(りんね)と言います。そして輪廻は六道輪廻と呼ばれるように、六通りの道があるのです。
 ようするに車の搭乗者は一霊だけではなく、この六道に属するそれぞれの霊が乗って肉体を共有しているのです。この肉体(車)に乗っている霊は全て自分自身であり、ご先祖、一族の霊達(霊団)でもあるのです。その時、通常は車のハンドルを握っているのは人間道の私であり、行き先は霊団の総意で決まります。しかし、時として他の五道のいずれかがハンドルを握っていたりします。そうするとその霊の気質や苦しさが車の動向(人の言動や行動)に大きく影響してしまうのです。また、まれに自分以外の別の霊がハンドルを握ってしまうと、自分で自分の行動が制御できない事態も起きるのです。

~肉体は六道共通の依り代~
 肉体はその者にとって深い霊の共通の依り代として、乗り合いの車の如く使われています。そして人の意思はこの霊たちの融合した思い、総意によって決まるのです。従ってこれらの霊はすべて私自身であるとも言えるのです。
 しかし、この霊たちは大きく六つの道に分けられ、それぞれ気質が異なり、修めるべき課題が違います。
 気天道はプライドが高く優越感が強く、阿修羅道は闘争心が強く争いを好み、人間道は自立心が強く、人に対して壁を作ってしまいます。畜生道は欲望を抑えることができず、餓鬼道は何に対しても満足できず感謝できない。そして地獄道は無気力となる。というように六道供養されていないと、このように悪い面が出てきてしまいます。しかし六道が人間道を中心に正しくまとまれば、人間性が優れ、正しい判断により道を歩むことができるのです。
 ある時、理天のご神仏よりこのような問題が出されました。「得道して理天に返ることのできる霊は六道の内どの霊か?」
 ①六道すべて
 ②気天、阿修羅、人間の上三道の霊
 ③人間道の霊のみ
 さて、皆さんの答えはどれでしょうか。正解は③の人間道の霊のみです。しかし、ご神仏は③と答えた者に対し、それでは悲しすぎる。道を得て、六道が正しくまとまり(六道供養がなされ)、救霊、修道するならば六道全てが救われ理天へと返ることができる。六道は一蓮托生として①の答えも正解としました。
 得道するとは、先祖、一族を救う代表として選ばれたに過ぎません。道を得た後に如何に多くの縁ある霊を救うかが霊の器の大きさであり、肉体(車)の乗車定員を決めるのです。その志が強ければ強いほど、多くの霊を導き、救って行けるのです。

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19、四生と四生因縁

 四生(ししょう)とは、胎生(牛馬犬の類) 卵生(鳥類) 湿生(魚類) 化生(虫類)の四種類の生き物のグループをさします。私たちが四生を認識しようとする時、眼に見える形では、動物(畜生)という姿でしか認識出来ません。六道霊の存在する六道霊界と四生霊の存在する四生霊界ではその次元が異なります。しかしその二つの霊界は重なって存在するために形に表わされる時は一つに見えるのです。
 四生因縁は最も原初の因縁であり、原霊降世の時にすでに有ったと言われています。また、親神さまが我々をこの世に降される時、互いの違いを認めあって協力することを学ばせるために四つにグループ分けをしてそれぞれに特徴を持たせたと言われています。その四つのグループが四生であり、胎生、卵生、湿性、化生のことです。

~四生は特徴の違い~
 六道霊団は同じ躯(むくろ)に乗り合わせた六つの霊にたとえられますが、四生霊団をこのたとえに当てはめれば、乗り物の種類の違いと言うことになります。乗用車(胎生)、飛行機(卵生)、船(湿性)、変化自在の装甲車(化生)であり、そのそれぞれの乗員が六道霊です。よって六道霊から見れば、その中は内側であり、他の乗り物はこちら側から見れば外となるので、六道は内、四生は外と言う関係になります。

~四生と畜生~
 それでは、四生と畜生の関係はどうでしょうか。先程の例えで言えば、胎生なら、より乗用車(四つ足動物)の特徴(因縁)を強く持ち、その姿形も乗用車(四つ足動物)となり、卵生なら飛行機(鳥類)、湿性なら船や潜水艦(魚類)、化生なら変化自在の装甲車(虫類)と言うことになります。この特徴のために互いの特徴とする部分を優位に思い、他の特徴を否定し、己れの力をもって他を喰らい合う、一切の争いの根源になる因縁、これが四生因縁です。そして霊界でもこの四生因縁が強ければ、争いを好む阿修羅神(あしゅらしん)となり、さらに四生因縁が強ければ姿形も四生となって動物神となります。現象世界では畜生(動物)となります。したがって畜生=四生と言うのは間違いではないのですが、その見える部分のみを捉えた時の表現です。しかしその奥に因縁として根深いものがあります。また、四生霊と言う場合は六道霊と区別して用いられることが多いです。また御聖訓には、地獄の裁きにおいて罪を認めることの出来なかった霊がおもむく所が四生霊界であると説かれています。

 それでは人間はどうでしょうか?人間は乗り物で例えるなら、万能の未来の車です。陸も走り、空も飛び、水中も進み、そして形も変化させることができます。四生を超えた存在であり、その中心に位置します。己れの内なる六道霊(自分自身)の巧みな操縦により、他の車両とも協力仕合ながら聖業を行うことが本来の使命であり、得道し道を行じて理天へと帰ることが目標でありゴールです。しかし人間も四生因縁の影響を大きく受けています。万能車と言ってもそれぞれ車に個性があり、得意とする機能が違います。しかし、それを認められず争いや人間関係のもつれとなるのです。同じ目標に向かうのであれば互いの力や特徴は不可欠となります。他を救ってはじめて積徳でき、己れが救われると言うルール(因果律)から言えば、他との協調なしで決して走ることは出来ません。その力を結集するためには中心を定めることが必要となります。

~異なる性質をまとめる~

 四生因縁とは、すべての魂が四つの特質に分けられ、互いに他を認め合いながら修行して行くためのものです。しかし、他を認め合えなければ、己れの持つ特質を主張し合い、すべての争いの元凶となる因縁でもあります。特に動物はその四生の因縁が強く現われ、姿形も四生の特徴が強く出ています。速く走るもの(胎生)、空を飛ぶもの(卵生)、水を泳ぐもの(湿性)、姿を変化させるもの(化生)として弱肉強食の争いを続けているのです。
 そして当然人間も四生因縁を有しています。ちょうど人に血液型がA、AB、B、Oと四つあるように、私たちの血の中に刻み込まれた最も古い因縁が四生因縁です。
 もし四生因縁が争いではなく、一つの目的のために団結した時、信じられないほどの大きな力を発揮するのです。四生は特質を異にしているため、互いに長けているものが違います。ちょうど石垣の石のようなもので、互いの出ている部分を突き合わせれば衝突し争い、不安定な石垣となり、互いの出ている部分と引っ込んでいる部分を組み合わせれば、堅固な石垣となります。また、四生の一つ一つが角の尖った三角形だとすれば、それを組み合わせてダイヤモンド(金剛石)のようにこの世で最も硬い石(団結力)となれるのです。
 そしてその四生の団結のために最も必要なものが、四生の主たる人の信です。四生はそれぞれ仁義礼智のいずれか一つの徳目を修めています。それを纏めるのが四生の中心である人であり信の徳目なのです。信の徳目、信念、信頼をもって中心に結集すれば如何なる問題も解決し得る団結力となります。

よろしければ『ぽち』っとして下さいませ(*^▽^*) → 

20、天壇について

 天壇は魂を理天へと運ぶ、救いの法船です。得道儀式や超抜式はこの天壇のもとに執り行います。その形態は当然、人が定めたものではなく、理天の神佛により定められたものです。そしてその形態は大宇宙を表わしたものであるとされています。
  天壇の形態の基本となるものを八卦と呼びますが、八卦とは宇宙、大自然の営みを八の要素で表現したものです。「太極より両義(陰陽)を生ず。両義より四象生ず。四象より八卦生ず」と言われるように、大宇宙を構成する最も基本となるものが八卦です。すなわち天壇の中にはこの八卦が表わされており、大宇宙の縮図となっているのです。
 この八卦は①~③三つの燭台、④香炉、⑤香木入れ、⑥抹香入れ、⑦陰の湯呑(お茶)、⑧陽の湯呑(白湯)の八のものをもって表わされています。そしてこれらの中には陰陽五行が全てそろっています。陰陽はお茶と白湯、五行の内の「木」は香木や抹香、「火」は燭台の灯火、「土」は香炉の灰、「金」は燭台や香炉、「水」はお茶と白湯です。
 八卦が揃えば天壇の最低限度の体裁は整うのですが、私たちの神佛を崇拝する気持ちの表われとして、神佛のお写真、お供えやお花を飾ります。人として生まれたことのない親神さまは当然お写真も 像もなく、ラウムの字を書いた額で表わしたりします。
 普通の社や神棚であれば神々が宿る依り代となるご神体が祀られるのですが、天壇は理天そのものに繋がるため、ご神体に当たるものはありません。真ん中の灯火、すなわち通天灯をもって理天と繋がり、八卦の並びそのものが大宇宙を表わしているのです。ゆえに天壇はどんな神社仏閣よりも大きいと言われるのです。理天そのものですから比較のしようがありません。そしてその理天にあるのが天佛院と呼ばれる天壇の本体に当たるものであり、この世に祀られる天壇は理天の天佛院への出入口として表わしたものです。ゆえに天壇を開くということは、理天の世界に自らの一族の宮殿を建てるようなものであり、単なる家の守り神や神棚を祀るのとは大きな違いがあります。
 天壇があるところは常に神仏のご加護を受けます。二十八宿等の護法神が絶えず守護し、ソウ(火へんに土)君は香炉を司り、その配下の神官を絶えず巡回させます。また、天壇に供えられる陰陽のお茶には、神佛が私たちの健康のために仙丹を入れて下さっています。献香礼や得道儀式等においては法律の神の号令により進められ、さらに多くの神仏の護りの中で行なわれます。
 天壇があるところは、その家ばかりか、その地域が護られるのです。ですから多くの天壇がある地域は法域として災害から護られます。

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